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2016.12.24目に見えないもの
今日はクリスマスイブですね。明日はクリスマス。
イタリアではイブの夜、クリスマスのお昼は家族が集まり、一緒に過ごす大事な日。
クリスマスの重要性からすると、年末、年明けは呆気ないほど。
日本での年末、お正月が、、まさにこちらのイブとクリスマス。
昨日まで、プレゼントを買いに最後のダッシュをする人達で
街は更に多くの人達で一杯。
プレゼントしたい、と思う家族や友人、恋人が居るのはとても幸せな事。
誰かを想い過ごす時間はとても美しい。
キリストのミサ から名がついた クリスマス。
元々は、キリスト教以前から信仰されていた”ミトラ教” の大事な習慣として
催されていた 冬至のお祭り、これが12月25日でした。
25日を境に、日がまた少しづつ長くなるので 太陽神ミトラ が再び生まれる日
として祝われていたそうです。正に新しい一年の始まり。
ローマ帝国時代、キリスト教を国教と定め、ミトラ教は結果的に
キリスト教に取り込まれていったと言われています。
(クリスチャンの方々にはお叱りを受けるかも知れません。。)
ミトラ神の被っている帽子は、なんとなくサンタクロースの帽子にも
似ているし、烏帽子 、聖徳太子も被っている。
その後、弥勒菩薩信仰に繋がったとも。
ミトラス神浮彫 2-3世紀 (ルーヴル美術館)
『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』
(ヨハネの福音書20:26~29)。
カトリックの総本山のあるバチカン市国があり、
生まれた時には有無も無く洗礼を受けた人達。
イタリアに居ると 宗教とは、、と考えずにはいられない。
日本にいた時には想像もしなかった事。
八十万神(やそよろずのかみ),森羅万象に神の発現を認める私たち日本人には
その見えないものを信じる力が、並々と受け継がれてきている、と信じている。
が、それでも簡単な事ではないですね。
見えないものを信じる事程、勇気のいる事はありません。否定する方がとても簡単。
毎年クリスマスが来ると、その 見えないもを信じる 事の難しさと
信じられた時に訪れる平安を思う。
私の友人は敬虔なカトリック教徒。彼女と話をする時間はとても安らぐ。
時々ミサに誘ってくれ、お祈りの言葉は美しく
十字も切れない私だがその神聖な空間に身を置く。
でもイエス、キリストはこんな私でもきっと受け入れてくれていると。
何かを信じる、そして信じられるものが有ると言うのは、救われる。
戦争の無い平和な世界が訪れます様に。
Buon Natale (メリークリスマス)
友人が通う Basilica Prepositurale di Santa Maria di Lourdes
ルルドのマリア様をお祭りする教会。美しい天井画と壁画。
DUOMO広場から