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2017.07.14Anni Arbrs   アンニ. アルバース

ミラノのガリバルディ地区にある、セレクトショップ、

Corso Como 10 (コルソ、コモ、ディエチ)

東京にも同名のショップが銀座にあり(10年前には青山に)、ご存知の方も多いかと。

 

ショップの2階にブックショップとSozzani(ショップオーナー)財団のギャラリーがあり

定期的にアートの展示をしている。

 

先日、Anni Arbrs 展を開催していると聞き訪れた。

 

1899年 – 1994年 ベルリン生まれ

 

平日の昼間、人も少なくゆっくりと閲覧でき

テキスタイルグラフィックはグレーの壁に映え、とても美しかった。

 

  

版画の作品。、晩年は織物を辞めて版画の制作に没頭した。

 

アンニが学んだバウハウス、ドイツ語で ”建築の家”

『全ての造形活動の終着点は建築である』 と 宣言したドイツの美術学校。

芸術と技術の統合、すなわち芸術家と職人とが手仕事により共同で作

り上げる未来の建築を目指したのです。

女性も入学を許されましたが、織物を織る 事しか許されなっかったそうです。

未だ未だ女性は生きにくい時代でした。

 

バウハウス、授業風景

 

バウハウスのルーツは19世紀末にイギリスで起こったアーツアンドクラフト運動の

影響を受けている。

アーツアンドクラフト運動とは、産業革命により粗悪な工業製品が大量に

生産された状況に異議を唱え、ウイリアム.モーリスを中心とした

中世の手仕事に回帰しようとする運動のこと。

現代にも通づるところがありますね。。。

 

  

バウハウスで手織物を学んだ。

 

1919年〜1933年のたった、14年間の活動に関わらず、現在もデザイン教育の

規範となっているが、ナチの台頭で閉鎖を余儀なくされ、

バウハウスの多くのユダヤ人がのちに収容所で命を落としている。

(戦後、再建している)

アンニは、夫と共にアメリカに亡命し、大学で織物の教鞭を取り、

1949年、ニューヨーク近代美術館で個展を開催した最初の織手となった。

引退後も講演や執筆活動をしながらバウハウスの思想、手織りについて

教えを後進に伝えた。

 

世界大戦を2つも経験し、ナチに学校を閉鎖されたマリア、モンテッソーリ。

激動の時代をを生き抜いた二人の女性。

彼女達が生み出したものは、時を超え21世紀にあって尚輝いていますね!!

 

晩年のアンニ。

古代から続く織物。それまでに無かったテキスタイルデザイナーとなった。

 

 

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