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2017.06.29Maria Montessori   マリア.モンテッソーリ

呆れる様なニュースや哀しいニュースの中、14歳の藤井四段の29連勝は

驚きと共に、日本中が笑顔にもなるニュースだった。

藤井四段が、どの様な教育を受けてきたかと言うことで、

にわかにモンテッソーリ教育法が注目されている。

日本には1960年代に紹介され、モンテッソーリ教育法を取り入れた

”子供の家” が初めて創立されました。

 

1870年 イタリア、アンコーナ県(アドリア海側)で生まれ、

イタリア人の女性として初めてローマの医科大学に入学し、女性初の医者となります。

ユーロに変わる前のイタリア紙幣、1000リラにモンテッソーリの肖像と子供達が学ぶ

絵が書かれていて、イタリアで住み始めた20年程前にて初めてその存在を知りました。

 

  

晩年のマリア.モンテッソーリ                                    1000リラ紙幣

 

女性と言う事で偏見の目でしか見られなかった大学時代に、彼女を理解してくれる

神経精神医学の教授との出会いがきっかけで、精神科医になることを決意。

当時は鉄格子や、ベットに縛り付けられた子供の患者達の扱いに驚き、この子達には

薬や強制ではなく、教育こそが必要と訴えます。

精神障害、行動障害、知恵遅れと言われる子供達は、マリアが考案、製作した

木の積み木や切り抜いた文字などで遊ぶうちに、読み書きができる様になり、整理整頓、

秩序、清潔な身だしなみも自然と身付いて行ったのです。

 

マリアの願いは、この子供達が普通の子供達が通う学校で教育が受けられる事。

彼女の熱意で、小学生程度の知能テストを普通の子供達と同様に受けるチャンスを与えられ、

なんと、全員が普通の子供達を上回る成績でした。

それは当時の教育関係者を驚かせ、それまでの教育理論を一掃する出来事だったのです。

 

   

マリアと子供達                                                      40代のマリア

 

この事がきっかけで、イタリア全土にその名が知れ渡り、ヨーロッパ諸国、アメリカ、

インドにも、モンテッソーリ教育法は広がっていきました。

決して強制せず、子供達の自主性を重んじ、本人の能力を導き出す教育法は

誰に対しても偏見の目を持たない慈愛に満ちた精神、強い意志と情熱、

そして社会問題に敏感なを彼女だからこそ、生み出されたものではないかと思う。

 

 

昔も今も変わらない ”Casa dei bambini”   子供の家

      

 

理解者であった教授と恋に落ち子供を授かるのですが、教授は彼女の才能と

何事にも動じない強い意志に嫉妬し、他の女性と結婚してしまいます。情けない。。

一人で産んで育てる決心をしますが子供の認知を条件に、

マリアは子供と引き離されてしまう。

 

1900年初頭に、ローマに労働者や低所得層の住居改修に伴い、市の要請で

その子供達のため、初めての ”Casa dei bambini”

カーザ.デイ.バンビーニ が出来ました。

教育を受けていない、文盲の母親から ”私は何も教えてあげられないダメな母親だから

子供を頼みます” と言われたマリアは

”毎日、子供の食事を作り、病気の時は側で看病し、見守るあなたは立派な母親です” と。

それはマリアが渇望しても出来なかった事。

私生活でも大変な苦渋を何度も味わいましたが、後半の人生では一人息子、マリオ氏が

モンテッソーリー協会の理事として母を支え、マリアは81歳の生涯を終えました。

 

時代の壁を乗り越え、ガラスの天井を打ち破り、揺るがない信念、

本当に天晴れな女性でした!!

 

 

 

 

 

 

 

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